当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!
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オデ、イエティ。
今回は『エルデンリング』の考察をしていきます。




お題は『放浪商人』について。
放浪商人とは



狭間の各地で出会う放浪の商人たち。彼らは狭間では数少ない、無害なNPCである。しかし同時に放浪の商人として、
一所に落ち着くことがない事には理由があるようだ。
今回は放浪商人について考察していく。



多くの褪せ人が放浪商人として初めて会うことになるのは、エレの教会にいるカーレ。カーレは会話の後に、プレイヤーと取引をしてくれるようになる。放浪商人は各地にいるが、取引以外の会話をしてくれるNPCはカーレのみ。彼からは放浪商人についての話が聞ける。
俺は、放浪の民の出でな。
旅をしながら、商いをしているのさ。
エルデンリングが砕けてから、
この地の連中は、殆どおかしくなっちまったが。
あんたみたいな褪せ人のお陰で、
何とか干上がらずに済んでるってわけだ。
まあ、今後ともよい商いを頼むぜ、あんた。
つまりエルデンリングが砕ける前は、狭間の者と商売していたが、彼らのほとんどが正気を失ったことでそれは難しくなってしまった。しかしその後に狭間に訪れるようになった、褪せ人は正気の者が多いため、褪せ人と商売をすることで、どうにか生きつないでいる……ということだろう。また、カーレはこうも語っている。
この地には、俺の他にも、
一族の生き残りがいるはずだ。
もし出会い、気が向いたら、
よい商いをしてやってくれ。
…俺たち放浪の民は、
昔から黄金の祝福とは無縁でな。
そのせいで定住も許されず、
貧しい旅を強いられていたわけだが。
だからこそ、エルデンリングが砕けた今も、
何とかまともでいられるのかもな
そういう意味では、似ているのかもしれないな。
あんたたち褪せ人と、俺たちは。
彼の言う通り、狭間の地にはカーレ以外にも多くの放浪商人がいる。中には囚われて商売をしている者も……。



その一部は商人としては活動していないようだが、プレイヤーが話しかけると取引に応じてくれる。名前はないものの、彼ら商人は少しずつ見た目が異なり、性格も多種多様。へりくだるような態度の者もいれば、褪せ人を警戒する素っ気ない者もいる。
放浪商人の秘密



そしてプレイヤーに対し、カーレはこう忠告している。
ああ、あんたには、
無用な忠告かもしれんが…。
一族の者には、手を出さないことだ。
放浪の民には、掟があるのさ。
孤独でよい。顧みられず、
捨てられるとも、何も求めるな。
だが我らを害する者だけは、
決して許すな、とな。
言うなれば、それが俺たちの律だ。
まったく執念深い、面倒くさい一族なのさ。



カーレの忠告通りに接している限り、商人たちは無害なNPCで在り続ける。しかし彼らを害そうとしたとき、
彼らの一部はその力を露わにする。彼らの瞳に宿るのは狂い火。それは黄金樹の敵、狂える三本指の炎である。
放浪の民と狂い火はどのような関係にあるのか。ここから掘り下げていこう。
放浪商人の防具のテキストにはこう記されている。



かつて、大隊商として栄えた商人たちは、
異教の疑いにより、一族郎党捕らえられ、
地下深くに生き埋めとなった。
そして彼らは、絶望の呪詛を唱え、
狂い火を呼んだ。



つまり彼ら放浪の民というのは、狂い火を呼んだ大隊商の一族、その生き残りなのである。商人の瞳をよく見てみると、黄色くなっている。



埋められた地下深くというのは王都の地下深く、忌み捨ての大聖堂よりもさらに奥のこと。そこには大量の遺体と、
数少ない放浪の民の生き残りが見られる。放浪の民の遺灰にはこうある。



狂い病を呼び、地に埋められた一族の霊体。
瞳から、恐ろしい狂い火を迸らせるが、
病み人であるため、HPは低く打たれ弱い。
放浪の民が持っている楽器、そして弾いている曲は商人と同じもの。放浪の民と商人との違いは病の進行度だろうか。
一部の商人は盲目のようだが、これはおそらく狂い火が瞳に灯っているためだろう。
カーレたち商人がエルデンリングが砕けた後も正気を保っているのは、彼らが黄金樹の祝福のない、狂い火の者だからなのだろう。



とはいえ、彼らが狂い火を呼ぶまでの経緯には不明な点が多い。一つ一つ見ていこう。まず順番としては、こうだ。
大隊商として栄えた一族が異教の疑いを掛けられ、
王都地下深くへと生き埋めとなった。
↓
その後、絶望の呪詛を唱えて狂い火を呼んだ。
つまり彼らが狂い火を呼んだのはあくまで埋められた後のこと。異教の疑いそのものが、大隊商であった彼らを
陥れるための陰謀であった可能性は大いにある。例えば、狂い火の起源とされた男、シャブリリ。シャブリリの禍にはこうある。



シャブリリという名のその男は、
讒言の罰として、人々に瞳を潰され、
やがてそこに、狂い火の病を宿したという。
讒言、というのは上位者に対して、虚偽を含む内容を訴え告げることで人を陥れようとすること。つまりシャブリリが大隊商へ異教の疑いをかけ、一族が狂い火を呼ぶように仕向けた、とも考えられる。ただしシャブリリが狂い火の起源とされるため、彼が瞳を潰されることとなった切っ掛けと、大隊商は無関係かもしれない。
しかしシャブリリはどの時代でも同じようなことをやっていそうであり、彼による讒言で大隊商は狂い火を呼ぶこととなった、とは考えられるだろう。
しかし気になる点として、放浪の民では狂い火と生き埋めの順序が逆に記されている。



狂い病を呼び、地に埋められた一族の霊体。放浪商人装備と放浪の民の遺灰、どちらのテキストが正しいのか。



個人的には放浪商人で記された順序を正しいものと考えている。理由としては放浪商人たちは誰も、根っからの人嫌いであるわけではないという点だ。彼らはその素性と一族の過去からか警戒心は強いが、それでも商いを続けている。
狂い火への信仰が高ければ、シャブリリやハイータのように、世界を焼き溶かして一つにする、という意識の元で行動するだろう。しかし彼らはあくまで、大隊商だった時の生業を大切にして生きている。
狂い火を信仰し、呼んだから生き埋めになったのではなく、何者かに陥れられ、生き埋めとなって絶望したから狂い火を呼んだのではないだろうか。
と、ここまで語っておいてなんだが、異教の疑いがあったことは事実である。
異教とは



それを表しているように思えるのが、彼らの楽器をつま弾いている弓。この弓の先にはかなり特徴的な意匠として、「手」が付いている。手というのはつまり五指のあるもの。






エルデンリングでは大いなる意志の端末である二本指と、狂える三本指が登場する。この二つを合わせると五指となり、手が完成する。



黄金律下での正しい信仰対象は二本指。しかし放浪の民が持つ弓は五指を象ったものであり、彼らは二本指と三本指が合わさることを求めていた、という可能性がある。
異教の疑いは彼らを陥れる讒言だった、という説。
あるいは三本指や、五本指という二本指信仰以外の異教を信仰していたという説。



どちらも考えられるが、個人的には放浪商人防具に準ずる、異教の疑いで陥れられたからこそ三本指を呼んだ、という説がしっくりくる。
さて、まとめよう。かつて黄金樹時代、異教の疑いにより地下へと埋められた大隊商の一族。彼らは絶望の末に狂い火を宿し、生き残った者も黄金樹に祝福されない放浪の民と化した。しかしあくまで彼らは商人であり、今も執念深くその生き方を貫いている。
孤独でよい。顧みられず、捨てられるとも、何も求めるな。
だが我らを害する者だけは、決して許すな。



虐げられ深く傷ついても、あくまで彼らは商人として放浪するのだろう。そしてその先には、彼らの求めた
良い商いが待っているのかもしれない。
というわけで今回はここまで。おつかれさまでした。





